少年が息を荒らげ、山を登ってくる。
砦で女が彼を迎え、どうしたのかと訊ねた。
「これ、何? 下で見つけたんだ。カタツムリの殻かな」
女はそれを節榑だった指で受け取り、翳す。
日が透けた。「これはたぶん、貝殻。貝」
「貝って」「貝は、海のもの」
その途端、隣で寝そべっていた黒犬がむくっと頭を上げ、少年は分かりやすいほどに怯え、顔に手をやらんばかりだ。「海のものがどうして山にあるの? 海と山はまざらないんじゃないの」
「海と山はまざるんじゃなくて、ぶつかるの」
<海のものと会ってはならぬ。海の色をした瞳の、海のものと会わぬように。会えばぶつかる。ぶつからなくともこすれ合う。どちらかが、もしくは双方が、斃れてしまう。海のものと会ってはならぬ>
「どうして仲が悪くなっちゃったんだろ」
「仲が悪いわけではないんだよ」それならばまだ分かりやすかった。お互いの気に入らぬ点を理解し、表面上だけでも穏やかに接し、いがみ合わないようにと気を配り、折り合いをつけることができる。女はその場に落ちている石を拾うと、少年の頭の高さで、手を離した。どさっと落ちる。「物は、落ちるでしょ。同じように、わたしたちは海の人と会えば、衝突するようになっているの」
「じゃあ、この貝はどうして山にあったの」
昔、海の人間がこのあたりに来た印なのか、もしくは海に行った何者かが持ち帰ったのか。確かなのは、そこで大なり小なりの争いが起きたことだ。山の者と海の者の対立は、太古から未来まで繰り返され、その衝突のひとつひとつに物語がある。
「仲良くやればいいのに」少年が言った時、海の集落でも、海の子供が海の大人に同じことを口にしていた。仲良くやればいいのに。
「会ったらいけないんだ」どちらの大人もそう答えるほかない。